自分の裁量でつながる

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「独りでいることを好む人」でも孤立の悪影響は緩和されない可能性が明らかになったそうです。

<プレスリリース>「独り好き」志向性とこころの健康 ―「独りでいることを好む人」でも孤立の悪影響は緩和されない可能性が明らかに―|研究成果|地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター研究所
東京都健康長寿医療センターは高齢者の健康の維持・増進と活力の向上を目指す研究を推進しております。

トラウマの中核症状は恥であると言われます。恥とは、罪悪感や自己卑下を含む、とても広い感情であり感覚です。その毒性はとても強く、人生の全般に影を落とします。


この厄介な感情や感覚は、「他者ありき」で存在します。
また、哺乳類はその名の通り「他者ありき」の生き物です。

それゆえ、コミュニティに属せないということは死を意味します。だからこそ、我々人間には個体がコミュニティの戒律を外れた時に踏みとどまらせる感情や感覚が必要だったのでしょう。


一方で、現代は他者との関わりを避けて生きることが容易くなりました。実際、我々は数珠玉ではないのですから、つながるよりも生き抜くことのほうが大切です。それに人間は、自然や動物や無機物にさえ愛情を抱き、つながりを感じることができます。


ですが、コミュニティに属せないという恥は人間からもたらされ、だからこそ人間によって最も効果的に迅速に雪がれるのです。セラピーの場で「つながり」という言葉が多用されるのは、時に魂を殺しかねない恥を雪ぐのに最も早道だからです。


(ポリヴェーガル理論では、腹側迷走神経複合体は成長と回復を司り、安全な社会交流が確保された状況で機能し、人間において特異的に発達しているとされています。)

トラウマによる防衛的な反応は「死ぬかもしれない」という恐怖がもたらします。恥が根深く残り続ける限り、防衛的な反応を鎮めることは難しくなるのです。


恥が有用なのはコミュニティがうまく機能している場合に限ります。そして何より、恥は雪がれる時が来なければいけません。コミュニティ(国や学校や家庭など)が機能不全をきたしていたり、延々と裁かれ続ける日々が続いたならば、もはや恥は薬ではなくただの毒となります。


つながりもまた同様に、毒にも薬にもなり得ます。万事万人に有効な不文律などありません。孤立と選択的なおひとりさま時間は別物です。つながりと恥は近いところに存在し、用法用量を心得て選択的に使えてこそ助けとなるはずです。


他者との関係の結び方や、折々の関係性の選び方は、学ぶことができます。他者との関わりは、練習すれば誰もが上達させられるスキルであり技術です。セラピーや自助グループは、他者との交流を安心して失敗し、安全に練習するための場でもあるのです。

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