回復とは「別人になること」ではない
先日、感覚の【起こり】について書いた。
https://wholesome.blog/sense/
このカーブから想像できるのは、【起こり】そのものを意図的に別の場所へ動かすことはできないということ。
とかく私たちは、回復や成長という言葉を聞くと、別人になることと同義のように思ってしまう。
でも健やな回復や成長というのは、あなたがよりあなたになっていく、という道筋のこと。
トラウマはどこで変えられるのか
トラウマというのは、トリガー→反応→対処の順で起きる。本当ならどの部分に働きかけてもトラウマは変え得る。
回避と解離という選択
このトリガー部分を無くそうとするのが、トラウマ診断基準にもある「回避」であり、中核症状である「解離」だと言えると思う。
避けたり感じないようにしたりすれば、トラウマ反応は体験せずに済む。でも、体験しないために回避したり解離したりする労力を払い続ける、という意味で、ずっとトラウマに囚われ続けてしまう。それはあなたの人生や喜びや長所を損ねてしまう。
反応の【起こり】をとらえる
私が先日のコラムに書いたのは、
トリガー→反応→対処
の中の、反応の部分にあたる。
トリガー直後、あるいはトリガーの予感の段階で反応の【起こり】を捕まえる。それによってカーブを変容させる。それができれば、あなたは別人にならなくても楽になれるし、トリガーを遠ざけなくても生きられるのだと身体に教えてあげられる。
あなたはすでに動いている
もうひとつ。
あなたは今も反応しているし動いている、ということ。
モダリティによっては、「あなたが動きたいように動いてください」とガイドされることがある。ソマティックエクスペリエンシング®でもよく使う言葉だ。
この言葉を使うときのセラピストは、クライアントがやっている動きをサポートしたい、と意図している。だから、手をバタバタさせるとか、上半身を揺らすとかの、クライアントにもわかりやすい、ダイナミックで目に見える動きが見えたときに口にされることが多いと思う。
見えにくい動き
ただ、こうしたダイナミックな動きが出るのがセラピューティックなんだと思っていると、大切な動きを見逃してしまう。
たとえば今、あなたは座ったり寝転がったりしているだろう。このときも、関節や筋肉は微細に動いて、あなたを支えている。これも反応だし、動きだ。
まばたきや呼吸、心臓の拍動なども繰り返されている。これももちろん、あなたの反応の一部だ。
「動きたい」は誰のものか
「あなたの動きたいように動いていい」
「内側から起きてくる動きに従って動いて」
そう言われたときに、あなたの内側で起きる動きはどんなものだろうか。踊りたいだろうか。手足を大きく動かしたいだろうか。ゆっくり呼吸を味わいたいだろうか。窓の外に目をやりたいだろうか。床に腹這いになりたいだろうか。
それはあなたの考えだろうか。
それとも身体の反応だろうか。
待つことでしか出会えないもの
「どんなふうに動きたいだろう?」
と考えていると、反応や動きの【起こり】には出会えない。
待って、感じる。
ただ待って、感じてみる。
あなたらしい回復や成長は、きっとそこから始まる。
