其の三

書籍レビュー
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其の三

子どものころの慢性的な逆境体験を持っていると、その人のアイデンティティーが痛みや恥や怖れと同義であることがままあります。それはつまり、痛みや恥や怖れを手放すことは、自分自身の喪失になるということです。この本では、そうした喪失に耐えられずに治療を中断し、痛みや恥や怖れの嵐の中へ帰っていった患者さんたちのことが描写されています。

安全な場所、安心できる関係性といったリソースがその人の中に確立できていないかぎり、自分の中の恐怖を見ることも、それを手放すことも難しくなります。著者は、ニューロフィードバックは脳内に母をつくる作業だ、という比喩を用いていますが、恐怖を抜け、転移を抜け、さらにはセラピストが母役となって関係性モデルを構築しなければ、回復も、危険を排除したニューロフィードバックも、ありえないのでしょう。そしてそれは、他のアプローチにおいても、あるいは家族や社会での関係性においても同様なのではないかという気がします。

彼らが治療に乗れないとき、それを抵抗だとか防衛だとか疾病利得だとか言って片づけるのは簡単ですし伝統かも知れませんが、暴力です。私は個人的にフロイトやロジャースも、PTSDの【極】にいる人たちを想定していないと思っておりまして(私見ですよ)、現状の心理療法にしろ何にしろ、いうなれば1SD範囲に入る程度の人までしかカバーできていないのではないかと訝しく眺めています(私見ですよ、私見)。見る(診る)べきは診断名じゃなくて、目の前にいるその人、でしょう。

例えるならば、骨折して大腿骨がつながっていない人に必要なのは、速く走る方法や痛みを感じなくするテクニックを伝授することではなくて、骨をつないで社会が認知している「ふつう」や「スタートライン」までベースラインを引き上げることですよね。

私が一クライアントとして社会の側に求めたいことは、自分が生きている世界は自分だけのものであり、その世界での当たり前まで到達するのに生涯をかけた努力と投資が必要な人がいることを忘れないでいてほしいということです。

追記:フロイトがPTSDから距離を置くに至った経緯こそ、トラウマとそれが構築した社会システムであるように思います。(2022年11月29日)

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