支援者の心の層

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人間の心が全員等しく10の層でできているとするならば、例えば、自分の心の表面から3層目までしか見ることができていない者は、世界には3層目までの問題しか存在しないように見える。だから、家族や友人やクライアントが5層目で苦しんでいたとしても、3層目までの困り事しかサポートはできない。


「身体がかたい人のほうが良い指導者になれる」とヨガを教えている方がおっしゃっていたけれど、心のこわばりもそれに似ている。生まれや育ちの中で困難を経験した者は必要に迫られて層の深くまで切り込まねばならず、自然と、危険域や毒性に敏感になる。


そのためか、得てして困っている人ほど層の深くまで切り込んでいて、想定している情報が多い。ゆえに、相手がどの程度の層にいるのか、限られた手がかりからでも見当がつく。そして、援助的な言葉やセオリーが、時に、文脈の中で破裂させる毒性にも敏感になる。


私は当事者が支援者になることの是非を論じるつもりはないし、そんなことのできる立場にないし、支援はセラピールームに限ることじゃないと思っている。言いたいのは、複雑性PTSDや発達トラウマは「そんなものはない」「存在しない」と無視され続けた末に発症するものだ、ということだ。


相手よりも浅い層から働きかけるということは、「私はあなたに見せませんし、自分でも見るつもりはありませんが、あなたは私に全部脱ぎ捨てて見せてください」と言っているようなものだ。


私たちは、自分が立っている層を切り裂くことができなければ、どんな経験を重ねても、「生」や「己」に迫ることはできないんじゃなかろうか。強い立場(あるいは無自覚に、リソースフルである過去や現在を持っている)になるほど、相手以上に深い層へ潜るのが、サポートする側のたしなみだと私は思う。

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