トラウマについてNo.14 フラッシュバックと解離

トラウマについて

フラッシュバックという言葉を、「過去の嫌な体験のイメージが蘇ってくること」と理解されている方もいらっしゃることでしょう。でも、フラッシュバックを起こすのは視覚的なイメージに限りません。

私は以前、深夜のドライブ中に急に心臓がドキドキし始めてパニックのような状態になったことがありました。夜だったのでまったく気が付いていなかったのですが、実はその時通っていた場所は以前事故に遭った現場のすぐ近くだったのです。

私たちの心身は、ショックな出来事に見舞われた時の場所やにおい、聞こえていた音や言葉、触覚、身体の姿勢、ロールポジション、視線、天気、季節、などなど、あらゆることをまとめて記憶しています。それらは結びついたひとつの大きな塊になっていて、その中のどれかが刺激されただけで全部が溢れてフラッシュバックを起こしてしまうことがあるのです。

例えば、記念日反応と呼ばれるような、ショックな出来事を体験した時と同じ季節になると体調を崩すことがあったりします。特定のヨガのポーズがトリガーとなってフラッシュバックを起こすこともあります。捻挫して思うように動けないとか、近くで赤ちゃんが泣いたとか、一見すると何のことはない出来事がきっかけになってしまうこともあります。かと思えば、子どもの頃に繰り返し経験したトラウマはアイデンティティーや性格と合体してしまうことも多いので、トリガーがわからない(フラッシュバックだと自覚できない過覚醒状態に陥ってしまう)ことも多くあります。

対照的に、解離というのはトラウマセラピーの文脈では主に身体感覚や現実感が乏しくなった状態を指します。ぼんやりして視線が合わなくなる人、気分の落ち込みと共に身体から力が抜ける人、抗いようのない強い眠気がやってくる人など様々で、専門家によって定義もまちまちです。そこを敢えて単純化して表現するならば『フラッシュバックは情報の大渋滞で、解離は情報を極端に減らしてしまった状態』、でしょうか。(過覚醒と解離は同じ人の脳の中でスイッチしながら併存しているとも言われますので、なんとなくイメージをつかむ程度になさってください)

本来、解離は誰もが日常的に使っている戦略です。手順をいちいち考えなくても車の運転ができるのも、圧迫面接を切り抜けられるのも、仕事の正念場で無理ができるのも、大なり小なり解離のおかげです。でもその解離が行き過ぎてしまうと、自分の気持ちがわからなくなったり、身体の痛みや疲れすら感じづらくなっていきます。それがさらに進むと、記憶が飛んだり、複数の人格を持つようになったりします。

フラッシュバックも解離も、その渦中の心理状態や身体感覚はとても極端だったり日常生活を脅かしたりしがちです。ですが、どちらも生存戦略が行き過ぎた結果ではあるものの、それ自体が悪というより、情報の出入力を調整する力の不足が問題の核心です。

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