揺らぎの中で折り合う

身体指向の心理療法

自分のことがあって以来、がん関係のニュースを目にすることが増えました。で、がんのサバイバー自身や支援者が、がんを制圧とか撲滅とか言ってるのを読むことが増えて、なんだかな〜ってなってるんですよね。

がんは悪者で、よそ者で、だから自分とは関わりあいのないところへやっちゃいたい、ということなんでしょうけど。いや、そりゃ切り取りましたけどね、私も、がん。だけど、がんを患ったことや、それをきっかけに考えたことや触れたこと、関わってくれた人、からだやこころに刻まれた思いや記憶、そういうもの抜きでは、もはや私とは呼べないと思うんですよね。だからなんだか、制圧とか撲滅とかいう言葉は、患者自身込みでまるごと成敗するみたいで、このとこの有名人の発言で炎上してる優生思想を連想してしまいます。

例えば、『自分には生きてる価値が無いから死にたい』という言葉は、その人の中の優生思想が言わせるものです。自己卑下に見せかけた二元論です。それって、とても苦しい。それぞれの人にとって、その時々、何者とも程よい具合に付き合ったり遠ざけたりできるのが、一元論の優しさのような気がします。(政治家が「不退転の決意です」って口にしたら、なんか危険な臭いがしません?うまいこと揺らげるのが、生き物本来の良さですよね)

がんだって、痛みだって、病気だって、善でも悪でもなくて「もしもし、ちょっとこのやり方マズかないですかい」っていう問いかけなんだろうと思うんです。そりゃ、その痛みや恐怖に呑まれることはしょっちゅうあるけど、何もかも十把一絡げに切り離して消そうとしたら、それこそがゲームオーバーな気がします。

私の経過はまずまずです。麻痺も少しずつ和らいで、放射線治療に向かう前の静けさをゆっくり味わっています。問題は、先々の予定が組めないこと!ワークショップやセラピーやボディーワークを受けるのが趣味だったのに!人にも会えないし!

まぁ、そんなこんなで、今朝ワクチン打ってきました。重症化リスクは避けたいので。それが考えた末の、今の私に程よい結論です。

すべての人にとって、ほどよい週末でありますように。

Verified by MonsterInsights
タイトルとURLをコピーしました