このところAmazonオーディブルを聞きまくってました。だいぶラインナップが増えましたね。
明日まで、1ヶ月〜2か月の無料体験にエントリーできるようですよ。リトライもOK。
今回も色んなのを聞きましたが、これまでで一番感動したのは何年か前に聞いたこちらの『国宝』。尾上菊之助さんの朗読です。
どんなにテクノロジーが進化しようとも、AIが歌舞伎の身体性をまとうことは決してできないでしょう。
演じ手と聞き手、両方に身体があるから成立するのがアートなんだろうと思うんですよね。それは、絵であれ写真であれ音楽であれ、同様に。(演じ手、聞き手、って文字そのものが、身体無しには成立しないことを表してますよね)
話は飛ぶんですが、昨年はじめて師走に芝浜を聞いたんですね。師走に聞く芝浜は、依存症の支援をしてらっしゃる方には特別ですよね。
ある人は笑い、ある人は胸を詰まらせる。ある人が泣いたところである人は鼻白む。ひとりひとりの観客の中にそれまでの人生を投影したドラマが展開する。その日の芝浜は、噺家のみならず、館全体で創るような一席でした。おそらく落語ってそもそもそういう芸術なんでしょうね。
その日、もちろん噺も素晴らしかったけれど、何よりも痺れたのは全ての演目を終えた後に全員で鳴らした三本締めでした。
歓声も上げられず、思うように噺家に声を掛けることも許されない中で、師走に芝浜を聞く。その余韻が続く中で、全員の万感の思いが込められた三本締めは、その音で館を割らんばかりの圧倒的な迫力で、しかも全員の響きは一糸乱れず、それまで経験したことのない圧倒的な空気に全身の鳥肌がしばらく引きませんでした。館を出て見上げた満月を、私はたぶん一生忘れないと思います。
年の瀬。芝浜。三本締め。おそらくそこには、日本人のソウルを土台から揺るがすような、呼応させるような、強烈な共通項みたいなものが存在した気がします。そしてそれは、歴史と身体がなければ絶対に存在しないのだと思うのです。