ソマティックの敷衍2

身体指向の心理療法

好きなものを「これが好きだ!」と叫び続けるだけではその魅力は伝わらない。一般の人に耳馴染みの薄い言葉の連呼は、共通言語で話せるマニアや、価値観の近しい人から共感をもらう位が関の山だ。


この世界に“正しさ”が人の数だけあって、私たちは常にそれを擦り合わせるのに腐心している。それなのに、ソマティックや身体性の魅力の発信はとかく「素晴らしさ」を叫ぶだけのものになりがちだ。その最大の理由は、ソマティックは言葉にしづらく、個々の受け止め方がまるで違っているものだから、なんだろう。


しかも、身体に根差すということは皮質的な生き方から遠くなるということだ。だからソマティックな人は地位や名誉に囚われないし、自分に無理をさせない。そして、義務だけで動けないし、組織を動かすようなことに食指が動かない。心身の動きに嘘がつけない。


皮質下に正直に生きようとすれば、自然とそうなる。だけど、一般の方に神経系についてほんの短い時間、ほんの触りを話しただけで、「何十年も抱えていた苦しさの理由がわかった」と感謝されることは正直珍しくない。


ソマティックな人に魅力的に映る事柄は、皮質で生きている人にとってはむしろ短所だったりする。でもだからこそ、個々のセラピストやモダリティと社会との間を結ぶ、コーディネーションを担えるシステムが必要な局面に来てるんじゃないかと思えてくる。


世界情勢を考えると、待ったなしなんじゃないのかという気がするのだけれど。

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