私たちに感情や感覚があるのはなぜでしょうか?
楽に生きようと思ったら、さみしいだの痛いだの、感じないほうがずっといいですよね。
それなのに私たちにわざわざ感じる機能が備わってるのは、何らかの行動を起こさせるためなんです。
【さみしいなら仲間を頼る。痛いなら手当てする。そうやって、外界の様子を感知して、生きのびるための行動を起こさせる。】
そのために感情や感覚はあります。
感情や感覚は排泄物みたいなもので、湧いてくるのは自然ですし、生きていく上での大切なバロメーターです。忌避するのも崇め奉るのも、どちらも生き物として行き過ぎな気がします。
健やかな代謝と同じように、適切に流れて、肉体を離れて、次の新しい刺激に席を譲るのが、負担が少ないのではないでしょうか。
生きようとしている身体は、感情や感覚を使ってあなたを動かそうとしています。ですから、感情や感覚に一致した行動を採れるほど、その精度は増します。
生きたい、食べたい、恐怖をなくしたい、そのためになら何でもできてしまう、してしまうのが、私たち動物です。手に余る感情や感覚をただ打ち消すための行動しかとれなければ、それらをかえって燃え上がらせます。