生まれてきたのには必ず意味がある。
誰にでも生きている価値がある。
そう考えたほうが救われるなら、それを求めたらいい。
自分の生命に意味や価値が見つかれば、きっとステキだろう。
でもべつに、それがなきゃ生きていけないわけでもない。それが見つからないのが悪いことでもない。
恐山の南直哉師は、「生きる意味なんて見つけなくていい」「人脈も友達も要らない」「置かれた場所で咲けなくていい」と言っている。
脳科学者の池谷裕二先生に至っては、「マンボウが卵を産む目的の99.999998%は、子孫を残すためでない。ほかの生物に食べてもらうためだ。(略)物事には必ずたくさんの側面がある。その一つだけにこだわると、大切な側面を見失ってしまうかもしれない。」とまで言っている。
自分を唯一無二のかけがえのない存在だと考えることと、地球上の生物が流転する中でただ生まれたに過ぎないと考えること
どちらも真実かどうか証明できないなら、どちらを採用したほうがその時の自分を楽にしてくれるかで決めたのでも良いはず。
そして、生命は変化とともに存在するように、信条だっていつも同じでなくてもいい。
出典
南直哉:「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
池谷裕二:夢を叶えるために脳はある