着る物を迷うような天気が続きますね。みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。
私はといえば、4月半ばからでしょうか、「どうしちゃったんだろう、私の身体、、、」という位の不調に陥りました。気力も体力も色々と使い果たしたんだなと痛感する毎日で、これまでどれほど自分を追い込んできたのかと、猛省しています。『手術の影響が出るのは半年後から』というのは本当ですね。
そんなようなわけで【生き方改革】を始めようと決め、瞑想するとか、早めに寝るとか、栄養に気をつけるとか、同じ時間に起きるとか、やれる所から少しずつ始めています。
今日一日をどう過ごすかは、未来の自分にギフトを贈ることにもなり、時に、負債を負わせることにもなる。そんな当たり前のことが、全然わかっていませんでした。私は今も身体を置き去りにしていて、この一年間も、使い捨ての道具のように一顧だにせず鞭打ってきたんですよね。4月からの試行錯誤で、少しは自分という人間が見えてきたような気がします。
セルフケアを最優先し始めてからは、何気ない日常や予定のない日であっても[本来の私らしさへのプロセス]は続いていて、この数週間で自分が違うフェーズに移ったのだと実感しています。
“成長”や“回復”と聞くと、なんだかとてもポジティブで劇的なことを想像してしまうけれど、いま私の身に起きていることは、薄皮1枚分だけ横にズレるような、そんなささやかな変化です。
それでも、色セロファン1枚で世界の見え方は激変するように、薄皮1枚分シフトした世界は、濁りの少なくなった分だけ残酷で、胸に迫る美しさを放っています。
ボージェスは、「私たちが安全である時、マジカルなことが起きる」と言ったそうです。
成長や回復のようなマジカルなことは、安全無しには起き得ません。逆に言えば、心身ともに安全を感じられたならば、そして、世界や自分の安全を信じられたならば、ささいな日々の営みすらも、成長や回復を呼び込むマジカルなプロセスに変えられるだけの力が私たちにはある、ということなのかも知れません。
走り始めたプロセスをただ呆然と傍観しているような日もあり、露わになった自分の弱さに狼狽えもし、時にもう一度色セロファンで世界を濁してしまいたい衝動にも襲われながら、
同時に、ちっぽけな自分に親しみが湧くような、そして、親しみが湧いたぶんだけ距離が取れるような、
不思議な感慨に包まれて過ごす日々です。