これまで長い時間お付き合いいただいてきたトラウマについてのコラムも、今回が最後です。
ナディン・バークハリスは、ACE(逆境的小児期体験)からの回復には、睡眠、メンタルヘルス、健全な関係性、運動、栄養、マインドフルネスが役立つ、と述べています。
トラウマを癒す療法としては、認知行動療法やEMDRやSE™などがあります。特に近年は、身体指向の心理療法と呼ばれる、身体からアプローチするやり方が増える傾向にあります。
しなやかに復元する力のことを科学や工学の言葉でレジリエンスと呼びますが、逆境体験についても、レジリエンスを高められるほどに回復力は高まってきます。ただ、単回性のトラウマからは【回復】することができますが、発達トラウマの場合は戻れるだけの確立したアイデンティティがありません。ですので、セラピストやカウンセラーと一緒に新しい人生を創造していくようなプロセスになります。つまり、単回性のトラウマと同じやり方で【回復】を目指すことは害になるのです。
トラウマを経験した人の中に、受傷前よりもさらに豊かな人生へ拓かれて行く人がいて、その様子をPTG(Post Traumatic Growth 外傷後成長)と呼びます。私個人的には、この成長というのは華々しい活躍を意味するのではなく、「本人の中で調整力が育ち、揺らぎを抱えていられる状態」と言ったほうが近いような気がします。ここではないどこかへ行って、自分ではない誰かになりたいという切望から少し離れ、自分の人生の主導権を再び、あるいは初めて、手にするような感じでしょうか。
この調整力は、本来なら養育してくれる人によって育まれていくものです。ですから、発達トラウマを持つ人にとっての成長とは、誰からも与えられたことのない心地よさを自分で自分に与えなければならないということを意味します。その悔しさや戸惑いや悲しみは時に手に余ることもあって、トラウマを抱えたまま生きていく選択をする人もいます。
「自分が悪いことにしておく」のは、最後の希望です。そう考えれば、怒りや諦めや羞恥心や自暴自棄が付いて回るとしても、苦しさの理由は明確になり、秩序は保たれ、未来への可能性が残されますから。
赤ちゃんにとって、自分の望みが満たされないことは死を意味します。ですから、発達トラウマを持つ人が「望んだように愛されなかった」と認めるのはとてつもない恐怖です。たとえ本人が無自覚であろうと、再演、自傷、他害、依存、解離など、私たちに常軌を逸した行動をとらせるのは、恐怖ゆえのことが多いものです。「過去の痛みを認める位ならば、自分の正常さを認めなくてもいい」・・・それは、特に発達トラウマにおいては自然な心理なのです。
「つらいトラウマ反応は恐怖に駆られた適応であり、なおかつ、それを手放す回復過程もまた恐怖である」
支援やカウンセリングやセラピーは、そうした理解を前提にして進める必要があります。目指すべきはPTGではなくて、まずもって、恐怖を減らしていくことなのではないか。それが私の考えです。