前回の続きです。
宇多田ヒカルさんのAutomaticがリリースされてから四半世紀ほどが経ちます。私にとっては【いい思い出なので】、記憶はどんどん薄れますし、思い出しても圧倒されたりしません。それは、私が宇多田ヒカルさんのAutomaticを聴いた当時、私の脳は【全体が連携して】活動していたからです。
でもこれがトラウマティックな経験の場合、脳は生き延びることを優先するので冷静に判断したり理路整然と記憶したりする高機能な部分がお休みしてしまうのです。例えば、今この瞬間に突然近くで何かの爆音がしたとします。誰であれ、ぎょっとして、身体をすくめて、音がした方向に目を向けるはずです。この時、誰であれ、とっさの反応を避けるために賢さや理性が入り込む余地はないでしょう。もしこの時の爆音が「ただの爆竹だった」ならばほどなく平常に戻れるはずですが、「すぐそばに看板が落ちてきた!」というようなことだと、一目散に逃げだして、前後の記憶が飛んでしまったとしてもおかしくありません。
トラウマティックな経験に見舞われた時、理性的な思考や崇高な精神性を投げうって必死にその局面をやり過ごそうと頑張るのは、原始的な脳部位や身体的な活動を支える脳部位です。そうなると、生き延びることはできますが合理的な判断や時間の感覚が欠けてしまうのです。
一方で、そんなふうに高機能な脳部位がお休みしつつも、脳や身体が出来事を記憶する仕組み自体は動き続けます。ですので、その時のにおいや光景、場所、聞こえていた音、身体の姿勢や緊張状態、感覚や衝動などは心身に刻まれて残ります。こうした記憶には合理的な判断は通用しませんし、時間の感覚も含まれません。それゆえ、トラウマ記憶は過去になることができずに何かの刺激に引きずられて不意に私たちを乗っ取ってしまうのです。(フラッシュバックや解離について書いた章もご参照ください)
さて、この合理的な判断も時間の感覚も持たない記憶をどうやって癒していけばいいのでしょうか?
私は、トラウマティックな体験をした当時、生き延びるために活躍した原始的な脳部位と、お休みしていた人間らしい脳部位とを連携させていくことが鍵になるだろうと思っています。
トークだけのカウンセリングだと、トラウマティックな体験をしていた最中にお休みしていた人間らしい脳部位に働きかけることになるので、原始的な脳部位に響かせることが難しくなります。(ただし、第三世代の認知行動療法などはトークセラピーに分類されますが趣が異なります。そして、身体指向の心理療法でも必ずトークは入ります。)
なぜトラウマからの回復のために身体指向の心理療法が興ってきたのか、なぜトラウマセラピーの一種であるソマティックエクスペリエンシング®では言葉ではなく身体を切り口にしていくのか、なんとなくイメージしていただけたら嬉しいです。