トラウマについてNo.2 記憶する、とは?①

トラウマについて

トラウマが残っていると、とっくに過ぎ去ったことにいつまでも悩まされてしまうのはなぜなんでしょうか?

その謎を解くために、みなさんに宇多田ヒカルさんの「Automatic」をはじめて聴いた時のことを思い出してみていただきたいのです。

どうでしょう?歌詞が浮かんできましたか?その時の情景が浮かんだでしょうか?社会現象を報じるニュースとか、メロディーのコードだとか、一緒に聞いた人の表情とか、思い出す内容はきっと人によってまちまちですよね。若い方だとYouTubeで聞いた記憶だったりするかも知れません。

私の場合は、宇多田ヒカルさんがどんな曲を歌っていても、いつでも、Automaticを初めて聞いた吉祥寺のCDショップの前の景色とか、その日買って帰って家で聴いたこととかを必ず思い出すんですね。そして、当時アルバムを聴いた時の胸がきゅっとなる感じとか、よくわからないけど号泣したとか、そんなこともいつもセットで思い出します。

「体が覚えてる」なんて言いますが、自転車の乗り方とかクロールの動きとかピアノの弾き方とか武道の姿勢のようなものって、体得するとなかなか忘れませんよね。こういう身体の記憶は言葉にして人に伝えるのが難しいのですが、「覚えてる」わけです。私が「Automatic」を思い出すと胸がきゅっとしたりするのも一種の身体記憶でしょう。

こんな風に、同じエピソードでも記憶するポイントや深度は人によって違う、ということと、私たちの記憶は状態に依存していて、五感の情報や動き、感情や身体感覚などがまとまりのあるユニットのようになっている、ということ、言葉にできなくても身体は覚えている、ということがポイントです。そして、私たちは“いっさいがっさいまとめて記憶している”し、“ユニットの中のどれかを思い出すと他のことも引きずられて思い出す”ようにできているんです。

たとえ同じ音楽を聴いても残る思い出がバラバラなように、どんな風に何を記憶するのか、その記憶からどんな影響を受けるのかは人によってまちまちです。それはトラウマティックな体験であっても同じです。強い影響を受けている人が弱いとか努力が足りないとかではなくて、そもそも同じ体験や同じ記憶などというものは存在しないんだということを心に留めておいていただけたらなと思います。

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