【身体を使う】ことと 【身体を感じる】ことと 【身体を入り口にする】ことは それぞれ全く違うものです。 身体や感覚に耽溺するタイプの回避もあります。(よく出会います。)
特に一人で身体感覚に没入すると、社会性の切れた、非現実的な身体感覚に閉じてしまいやすくなります。師も仲間も持たず、本やネットの情報だけで身体に潜る時間に依存するようになると、回避や解離が形を変えるだけになってしまい、それもまた危険で不健康です。
(マインドフルネスの仲間は、“小乗”と批判された仏教の歴史と絡めて私のこの考えに同意してくれました。サンガと呼ばれるコミュニティの意義は、そうしたところにもあるのかもしれません。)