顕われる道程

身体指向の心理療法

トレーニングを終えて、いま高村光太郎の詩を思い出しています。

僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる

有名な一節ですね。
でも、トラウマがあると、前だけでなく後ろにも、道が伸びることはありません。
歩けど歩けど、行けども行けども、どこにも、自分の生きた足跡がないのです。
どんな思いで生き、何を喜び、悲しみ、憤り、感じ、考え、誰に愛されてきたのか、すべては頼りなく朧げな欠片となって、荒野のあちらこちらに散在してしまうのです。

荒野にたったひとり、自分がどこから来たのかも分からずに佇む心細さ。

その心細さに挫けて進めない日もある。

絶望に身体を預けるほうを選んでしまうこともある。

それなのに人は、ままならない日々を過ごし、のっぴきならない思いを抱えながらも、時に、生き抜かんとする炎が再び燃え立つことがあるものです。

這うようにしながら荒野に飛び散った過去を拾い集めて撚り上げた綾が、自分の歩みの輪郭になるのだなと、そんな兆しを感じております。

山河を越えてきた自分の軌跡が顕になったなら、どれほど勇気づけられることでしょう。

私の歩んできた道程は、羅針盤のように、灯台のように、寒さを慰める織物のように、糧となって人生に織り込まれていくのかも知れません。

薬の影響で『突然更年期がやってきた』ような『突然50歳になった』ような日々で、戸惑うことは色々あるのですが。

これまでしてきたように、自分の中に程よい落とし所を見つけて折り合っていこう、と、ほんのり決めている今です。

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