セクシャルトラウマの裾野に──ポリヴェーガル理論で読み解く女性の神経系

セクシャルトラウマの裾野に──ポリヴェーガル理論で読み解く女性の神経系 身体指向の心理療法

性暴力や性被害、セクシャルトラウマといった言葉を耳にする機会が増えました。社会の中でようやく、これらが公に語られる話題へと変化してきたのだなと実感します。

私がお会いしてきた方の中にも、そうした被害を訴える方が少なくありません。私がお会いしてきたのは女性ばかりでしたので、ここでは女性の性被害と神経系との関係に焦点を当てて考えてみます。

生理学的に、陰核と膣は支配する神経の主体が異なります。陰核と膣の入口付近はおもに体性神経であり、膣の内奥は迷走神経を含む自律神経によって支配されています。この膣の迷走神経は背側迷走神経複合体に含まれると考えられています。つまり、それは脊椎動物の発生とともに形成され、進化を経てもなお私たちの身体に内包されている、原初的な神経の仕組みなのです。

背側迷走神経は、程よく活性化しているときには「おひとりさまリラックス」とも言える穏やかな休息状態を司ります。これをロートーン(低緊張)と呼びます。
一方で、この活性化が極端に進みすぎるとハイトーン(高緊張)状態となり、フリーズやシャットダウン――解離や凍りつきなどを含む――に至ります。

背側迷走神経複合体がハイトーンの状態にあるとき、心身は究極の温存モードに入ります。身体に力が入らず、思考が働かず、声も出にくくなります。そのおかげで、たとえストレス状況が長期に及んでも生命を維持し、身体の損傷や痛みを最小限に抑えようとしていると考えられています。

この状態は、傍目には落ち着いているように、あるいは無気力に、時には合意や降参を示しているように見えることもあります。
そのため、本来は生物として合理的な生存戦略であるはずが、人間の場合はこのような状態が被害を大きくしてしまうことがあります。
また、被害の最中に機能を停止していた高次の脳機能が、事後に回復することで価値判断が戻り、被害者に強い無力感や自責の念を残すこともあります。

(こうした神経学的な仕組みについては、例えば『なぜ私は凍りついたのか ポリヴェーガル理論で読み解く性暴力と癒し』https://amzn.asia/d/dYUoR8Yをご参照ください。当事者の方にはきつい内容を含みますので、その点ご留意ください。)

残念ながら、明確な性暴力と呼ばれない関係の中にも、女性を背側迷走神経のハイトーン状態に陥らせる行為が隠れていることがあります。「ひたすら数を数えていた」「翌日の食事のメニューを考えて気を逸らしていた」「感覚が消えて、行為を上から見ているような感覚になった」――こうした声は決して少なくありません。

ポリヴェーガル理論を提唱したポージェスは、背側迷走神経と腹側迷走神経がブレンドして働いている状態を【愛】と呼びました。

腹側迷走神経は、環境が安全であるときに活性化し、社会的交流を司ります。つまり、生命や心、魂の安全が脅かされていると、腹側迷走神経は十分に機能できません。腹側迷走神経が働かない限り、行為は【愛】とはならず、むしろ【トラウマ】を残す可能性すらあるのです。

腹側迷走神経が機能していない状態での性行為は、女性に背側迷走神経ハイトーンの反応を引き起こします。女性にとっての性行為が【愛やメイクラブ】となるか、【解離や凍りつき、敗北感や無力感・自責】として残るかは、この神経的なメカニズムによって大きく左右されます。
夫婦や恋人の関係における性行為の中で被害が認識されにくいのも、この仕組みが関係しているのかもしれません。

また、分泌物の量や快感が現実の感情や環境にそぐわないこともあります。それについても、生存本能の観点や、膣が二重の神経支配を受けていることを考えると矛盾はありません。身体の損傷を防ぎ、生命を守るために、無意識に採用されたサバイバル反応や、原初的な神経の働きによる感覚反応だと言えるでしょう。

女性にとっての性行為が【愛】であるためには、背側迷走神経をハイトーンに陥らせないための安全で、ゆっくりとしたプロセスが不可欠です。

そもそも人間にとって(特に、往々にして相手よりも力が弱い女性にとって)、性行為は非常にリスクの高いものです。ハイリスクな性行為は、「死の恐怖」と同等のストレス反応を引き起こします。
被害を被った当時には「なんてことない」と感じていても、身体は生命を脅かされた記憶を簡単には忘れられません。年齢を重ねてから、あるいは別の相手との性行為や出産などを契機に、かつての被害が急に影響を増すことも少なくありません。

「その行為に及ぶとはどういうことなのか」を、女性自身にも、そして相手となる人にも、ぜひ知っておいていただきたいと思います。
性被害は、一見穏やかな夫婦・恋人関係の中にも潜在している可能性があることを、私たちはもっと真剣に認識していかなければなりません。

※ポージェスは【安全】についてしか述べていないようですが、私たちには【安心】も必要です。これについては旧ソマティック心理学協会(ソマティックリソースラボ)へ寄稿した記事をご参照ください→https://www.somaticworld.org/2024-3-17-ishikawa/

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