先週末で、SRRの全モジュールを修了いたしました。(発達トラウマに特化したモダリティです)
トレーニングを通して、これまで日常に埋もれ、ずっと当たり前だったことが突然色鮮やかに立ち昇り、
耳慣れた言葉が閃光のように魂の深いところを照らす様を見ました。
ある人にとって当たり前のことや何の面白みもないことが、
雲を払うように私の基盤を変容させる様を見ました。
それを成し得たのはひとえに、ご縁をいただいた方たちの支えのおかげです。平凡な日常があたたかく満たされるこの体感は、比肩するものが他に見つかりません。
SRRは、クライアントを気持ちよくさせることを狙うものではないし、クライアントを揺り動かして修正するものでもありません。成果やギフトの交換ではないところで魂が交感するような、あるいは、積み残したTo-doのピースを地道にひとつひとつ埋めてゆくような、もしくは新しく創造するような、これまで味わったことのないプロセスでした。
サポートされることで自分の反応に飲まれず持ちこたえる・・・それは、支えを受け取ることへの恐れを手放し、ソマティックなスイッチを押されることに親しんだ成果としてやってくる体験でしょう。
ソマティックのスイッチを押されるたびにチリチリと自分の周縁が燃え落ちて、うすく一周りスペースができるような感じ。
その支えと広がりの中で、自分の人生を奪い去った自分の反応を適応と知り、許す。支えられることを学び、弱さゆえの強かさを身につける。
その先に、いずれ自己は友となり、感謝と敬意をもって迎えられたりするのでしょうか。
既存の価値観を抜けて、染み付いたパターンをも超えて、それまでついて回ってきた自分の反応に自分自身が圧倒されることなく、抱える。
そのフェーズへ漕ぎ出すのは、大いなる冒険です。そうでありながら、コロンブスが新大陸を発見したような大それた冒険というよりは、頬を撫でる風の中に金木犀の香りを見つけるような、その風に寛いでほっと息をつくような、砂粒のような新大陸の発見なんだろうと私は想像しています。
コロンブスのように世界地図を描き換えることはできなくても、今の私にはサポートがあり、チョイスがあります。自分の足があれば、自分のコンパスに従って歩き出すことができます。
冒険にサポートがあったなら、私たちはいつからであれ、旅を始められるのでしょうね。