神経美学から考える【美】と【回復】──発達トラウマと内側眼窩前頭皮質の結びつきが深い理由

神経美学から考える【美】と【回復】──発達トラウマと内側眼窩前頭皮質の結びつきが深い理由 ブログ

万人が共通して美しさに反応する脳部位があるらしい。それが、内側眼窩前頭皮質と呼ばれる領域で、眉間の奥に位置している。ここは絵画、音楽、数式、振る舞い、姿勢など、あらゆる事象に対して共通して反応するのだそうだ。
(参考:池津智大『神経美学』→ https://amzn.asia/d/9YWAzwV)

神経美学においては、「何を美と見なすか」を研究しているのではなく、「美を前にしたときに脳がどんな反応をするのか」を研究しているらしい。だから、各人の好みはバラバラなのにも関わらず、「美しい」と感じた時の脳は同じパターンを示した、ということのようだ。とても興味深い。

内側眼窩前頭皮質は価値判断を下す場所でもあって、親の応答によって成長する。つまり、発達トラウマで傷害されやすい。

(ヴァン・デア・コークの本にも紹介されているニューロフィードバックセラピストのサバーンは、発達トラウマに特化して眉頭にアプローチするプロトコルを開発している。これは、内側眼窩前頭皮質およびその近縁部に働きかけているものと思われる。ちなみに眼窩前頭皮質は扁桃体との結びつきが強い。参考:Sebern F. Fisher『Neurofeedback in the Treatment of Developmental Trauma』→ https://amzn.asia/d/iI0s9LP)

惹起される感情に悲哀などのネガティブな要素が含まれているほど、より強く「美しさ」を感じやすいのだそうだ。対して、「わかりやすくベタな美」は腹側線条体を刺激するらしい。この部位は反射的な反応を司っていて、トラウマ反応とも関係が深い。内側眼窩前頭皮質が担うのは、言うなれば意味づけや価値判断などを伴う「メタの美」であるという。

こうしたことから推測できるのは、悲哀を含む美との接触が、発達トラウマを癒す可能性を保有していそうだ、ということだ。

AIが台頭し、この先インスタントに手に入る情報に格差はなくなるだろう。これまで、言語化され、数値化され、競われ、正解やゴールが定まっていた事柄は、すべて万人に賦与されるようになる。

では、それでも残る不全感や虚無感、実存的な羞恥心は、何であれば拭えるだろうか。その鍵こそが、他者であり、修行なのだろうと思う。ただし、そこで言う修行とは苦行ではなく、美との邂逅を含む芳醇な時間のことなのだろうと想像する。

アートと言語、そして名付けの行為は、とてもよく似ている。それらは言うなれば、ある種の「等価交換」なのだろう。

TREEを樹と訳した時、必ず何かは零れ落ちていく。それは変化かもしれないけれど、不足ではないかもしれない。名指され、見出されなければ存在し得ないのが万物共通の運命ならば、名前はいつだって象徴にはなり得ても、それそのものを超えられない。

欠けも、変化も、すべては折り込み済みで、それでも等価交換して残したい、心を寄せたい、伝えたい、表したい。だから言葉があり、アートがあり、名前があるような気がする。

美をはじめ、感情や感覚にはじめから符号が付いているわけではない。「それはこれこれだね」と養育者に名指され、共感されたり宥められたりしてはじめて存在を現し、内在化される。
だから、たとえその応答がなかったり、時代や世間の評価から著しく乖離していた場合も、それに見合ったイメージが形成されるのだろう。

だからこそ、成熟のために親の応答が必須である内側眼窩前頭皮質が、価値判断やメタの美を感受するのも、そこが発達トラウマで傷つきやすいのも、宜なるかな。

努力や勉強で自分を助けることが尊く、第一選択だった時代はもう終わる。
この先は、美に触れ、遊び、悲哀さえも招き入れるような時間で人生を構築していく時代になるかもしれない。
その時は、個々の神経系がその質をさまざまに選べる時代であれ、と願う。好みは分かれても、我々の神経系は同じパターンを示すのだから。

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