ここからは私が考えていることをつらつらと。素人考えですから、その分を差し引いてお読みください。
トラウマ界隈では、フラッシュバックは過覚醒、解離は低覚醒と書かれた本ばかりですね。
でも個人的には、解離には過覚醒が、フラッシュバックには解離が含まれていて、要するに【アクセルとブレーキの塩梅の違い】のように思えます。
それから、脳は部位によって機能が異なりますよね。たとえばてんかん発作の場合、どの部位でどんな種類の発作が起きるかで呈する症状が違ってくるということがあるようです(https://amzn.asia/d/9X52v0s)。
また、友田先生のご研究が示されているように、経験した逆境の時期や種類によって損傷を受ける脳の部位は違います(https://wholesome.blog/no-16/)。
そうであるなら、受傷時期も逆境の種類も持ち合わせた生来の性質も使えるリソースも異なる人々が、みんな解離に向けて同じ線をたどって症状を重篤化させる、という考え方には疑問が残ります。
加えて、全身の神経支配がまったく同じバランスである、という前提も疑問です。全身が虚脱しているのに瞳孔は散大しているとか、おなかがガチガチなのに足がユルユルとか、右半身と左半身で緊張度合がまったく違うとか、珍しくないと思います。
もうひとつ。『犬として育てられた少年』の中でブルース・ペリーは、繰り返されるストレスによって耐性と感作が引き起こされること、パターン化されて繰り返される刺激は耐性に、まれにしか起こらない無秩序な刺激は感作に関与していると書いています。
想像ですが、我々のストレス反応が抵抗期から疲憊期へと移行するならば(これを交感神経系から背側迷走神経への移行と表現する人も)、また、回復がその順路を逆に辿って戻ってくることを意味するのだとして、いったん疲憊期を経験して戻ってきた抵抗期は、極初期に初めて経験する抵抗期と同質だとは言えないような気がするのです。
セラピーが進んでくると食欲が戻り、猛烈な怒りが出てくる方は多いですが、それは過去の再来とはまた違う意味合いも持っているように見受けられます。
脳の機能は部位以上にネットワークで考えられるようになってきました。我々の症状や回復も、点より網で、直線より樹形で、境界線よりもグラデーションで考えるほうが生き物らしいと思えてなりません。(保険点数とかの問題もあるので、現実には難しいことも多いと思いますが。)
いずれにせよ、私は病気も障害もとかくどの程度対処に困るかで重症度が決められるきらいがあると思っています。ですので、重い・軽いで判断する以上に、楽になれる方策を一緒に考えることを大切にしたいところです。(それが難しい。)